仕事から帰り、ふとテレビをつけたところNHKのプロフェッショナルという番組に、照明デザイナーの東海林弘靖さんが出演されていました。
照明一筋、仕事に情熱をかける男の物語り。仕事に冷めた私には、ない感情で感動的だったので記事で触れておこうと思いました。
照明デザイナーという仕事
照明デザイナーというのは住居や店や病院や街角など様々な場所の照明を企画、制作、メンテナンスする仕事。
主人公の東海林弘靖さんは中でも「光が創り出す『影』」をデザインする達人なのだとか。
そう。やっぱり眩しさではなく影ですよね。とても共感を覚えました。
照明とは何か
照明に情熱をそそぐ58歳の彼は、バブルの時代、たくさんの建築で照明を手掛けるも、「明るければ何でもいい」という要望のなかで苦労したのだとか。
それにめげず、そんな現場の要望や、設計の都合で照明デザイン変更を求められるも、それを汲みつつ、決して腐ることなく最大限のデザインを追究し続けたことが、次第に評価されていったのだそう。
その裏には「光の伝道師でありたい。」という彼の野心がありました。
しかし、東日本大震災の計画停電や国民規模で節電の意識が高まるなか、「照明とは何か。自分のやって来たことは何だったのか…」と考えてしまったのだそうです。
「灯りをつけたくても電気がない。」、「照明は最低限。節電が最優先。」の世の中ほとシフトするなか東海林弘靖氏の苦悩は相当なものだったと察します…
パプアニューギニアで照明の本質を知る
そんな彼を、とあるテレビの企画が導くのでした。電気もガスも通っていないパプアニューギニアの集落。
夜になっても各家には、ヤシの油の小さな薄暗い灯りが一灯灯るだけのとても小さな村。
そんな夜、東海林弘靖氏が村長に「灯りとは何か?」と問えば「光は命」だと答えが返ってくるのでした。
家に灯りが灯っていれば安心する。逆に、夜になっても灯りが灯っていない家があろうものなら、心配になり慌ててとんでいく…。それほど光というのは大切なものなのだと…
その言葉に涙溢れた東海林弘靖氏は「そんな大切なことを見失っていた。」と光の大切さを再認識し、再び熱い情熱を燃え上がらせたのでした。
そんな一期一会な体験を経て日本へ戻った東海林弘靖氏の活躍が当然ながら素晴らしい。
節電がいっそう強く叫ばれるなか、節電しつつも妥協しない街角の灯りをデザイン、その後も難題に挑み数々のデザインを産み出し、58歳とは思えない熱意と行動力で、今なお照明デザイナーとしての、光の伝道師としての道を突き進んでいくのでした。
とても感動的でした。
私も妥協なく打ち込める何かを見つけたいなと思ったのでした。
コメント